2017年05月19日

どうして「靴を揃える」?”目的”か”結果”か。

 結婚して3年。洗濯物を畳む、食器を洗って棚に仕舞う、シンクの水滴を拭き上げる、など、諸々のことを実践してくれるようになった旦那ですが、「靴を揃える」ことに関しては3年間ずっと”脱ぎっぱなし”です。

 どうやら彼の中では、「共同生活をするにあたって、相手が迷惑に思う&不快に思う度合いが高いものから修正していく」という考えがあるらしく、「靴を揃える」は優先順位が低いようなのです。

 毎日靴を揃えては「脱いだら揃えてね」と伝えているのですが、昨日旦那から「どうして靴を揃えなければいけないの?」という質問がありました。

 曰く、その答えに納得ができれば、子どもからいつか同じ質問をされたときに答えることができるでしょ?とのこと。

 

目的か、結果か

 その質問に、しばらく考え込んでしまいました。

 靴を揃える理由は、考えればいくらでも出てきます。

 ・靴を揃えるという”行動”が習慣化することで、けじめをつける習慣が身に付く。

 ・ひと手間の動作により、心を整えることができる。気持ちの切り替えができる。

 ・育ちが良い、丁寧だ、きちんとした人だという印象を相手に与える。

 ・次に靴を履くときに、心が乱れず、気持ちよくスタートできる。

 …

 どれも理由には理由なのですが、私自身が”靴を揃える習慣のない人”であったら、これらを聞いて「靴を揃えよう」とは思わないなと感じたからです。

 これらは、靴を揃える”目的”ではなく、「やった人だけがわかる”結果”」なのだと思います。

 

打算に縛られる

 これは個人的に思っている事なのですが、例えば「印象を良くするために靴を揃えるぞ」という目的を持って”行動”を始めると、他の結果をなかなか得にくいように感じます。

 そこには「人に良く見られたい」という打算があり、それに縛られているうちは、他のものが入ってくる余地がありません。

 以前「そうじは”気づき”の訓練である」と教わった時、”気づく”力を高めたい!と、それを目的としてトイレそうじに取り組み始めました。

 しかしこの打算があるうちは、それに頭を支配され、目の前のトイレそうじそのものに取り組めていませんでした。(自分では取り組んでいるつもりでも)

 続けているうちに、単純な頭から打算が忘れ去られ、そうじをする理由を求めなくなった頃から、色々考え方が変化してきたように思います。

 そして思うようになったことは、「”気づく”力がつくのは、結果だ」ということでした。

 昨日、ある営業職の方が、「売ろう売ろうと思わなくなった頃から売れるようになった。でもそれを新人に伝えるのが難しい。『数をとにかくこなそう』としか言えないんだ」というお話をされていて、「同じことだなぁ」と感じました。

 

「よくわからないこと」を始められるか

 ”靴を揃える”とか、”そうじをする”とか、「やったからわかる」ことを実践した結果として自分自身何を得たかというと、「直感力に秀でた」ことかと思います。

 例えば買物などで「買って後悔した」ようなものが、金額に関わらず無いように思います(あっても忘れっぽいので忘れているだけかもしれませんが、未だに後悔を引きずっているものはありません)。

 人に騙される、等も幸いながらありません。明朗で誠実で前向きな方々が、周りにいて下さるように感じています。

 慎重に調べてから行うことと、とりあえずやってみることの線引きが、自分の中でしっかりできているように感じます。この線引きには根拠がありません。直感です。

 

 これらが、”靴を揃える”ことや”そうじをする”ことと直接の因果関係があるのか?と聞かれれば、やってこなかった自分と比較もできないため、正直「よくわかりません」としか答えられません。

 ただ、「よくわからないけど、とりあえずやってみる」を受け入れて、実践した結果に何かしら因果関係はあるとは信じています。これも直感です(笑)。

 

 結局、旦那の「なんで靴を揃えるの?」の問いには、「(旦那)君が次に靴を履くときに気持ちいいでしょ?」と答えました。

 彼が靴を揃える習慣を身に付けるかは今後も不明ですが、子どもが産まれる前には習慣になったらいいなと思いながら、揃えて伝え続けようと思います。(あ!これは打算かな!笑)

 

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