2019年11月19日
リーダーたちの「自責」の姿勢が高まってきた!
本日は、香川県高松市で自動車整備工場を経営する、野崎自動車(株)の「そうじの力」コンサルティング日。
毎月1回私が訪問して、5拠点の工場から各工場長が集まり、環境整備についての研修を行っています。
全社をあげて、「整理、整頓、清掃」に取り組んでいるわけですが、その目的は、工場をキレイにしよう、ということではありません。
「フィロソフィーの血肉化」が、同社における環境整備の目的です。
同社は、稲盛和夫さんの主宰される盛和塾に入っており、社内に「フィロソフィー」を掲げています。
ですが、そのフィロソフィーを唱えるだけでは、なかなか浸透は難しいものです。
だから、環境整備という「実践」をつうじて、血肉化しよう、ということなのです。
たとえば、フィロソフィーの一項目に、「完全主義を目指す」というのがあります。
工場において、エンジンクーラント、つまり冷却液が、どうしても蛇口から垂れてしまう、という事象がありました。
もちろん、その下にある床面は、濡れてしまいます。
これを、「垂れるのだから、仕方がない」と放置しておいては、「完全主義」ではありません。
ある工場では、垂れるところに古い軍手を置いていました。
「これならば、床面も濡れないし、軍手の再利用にもなる」と。
でも、軍手の本来の使用方法からは、外れていますよね。
やっぱり、「完全主義」ではありません。
そこで、いろいろと話し合った結果、床面に吸着マットを敷くことにしました。
まだテスト段階ですが、現場を見てみる限り、うまく機能しているようです。
このように、身体を動かす実践があって、はじめて、フィロソフィーという概念が現実のものになっていくのす。
こんなふうにして、社内がどのように変わってきたのか。
野崎社長は、こんなふうに言っています。
「ここのところ、工場長たちが、『自責』になってきた。以前ならば、『それは自分の責任ではない』という感じだったが、その姿勢が変わってきた」と。
環境整備という実践をつうじて、じょじょにフィロソフィーが血肉化しているようです。