2020年03月14日

なぜ“そうじ”は組織風土改革の契機になるのか?【そうじの力で組織風土改革】

私は”そうじ”を通じた組織風土改革の支援を生業としています。

単なる「掃除」ではなく、”そうじ”。

その”そうじ”には、人を目覚めさせ、組織を活性化させる「力」があると信じ、その力を「そうじの力」と呼んでいます。

ところで、なぜ“そうじ”をすることが、組織風土改革につながるのでしょうか?

この根本的な疑問に、今回は答えていこうと思います。

 

 

心と体はつながっている

いろいろな説明をすることができますが、ひとつは「心と体はつながっている」ということです。

たとえば、心がウキウキ楽しいと自然と笑顔になりますね。

逆に、心配事や不安、恐怖、怒りなどが心の中にあると、顔がこわばったり暗い表情になったりします。

場合によっては背中が曲がったり、熱が出たり頭痛がしたり、ということもあります。

このように、心の中のありようは、身体の状態になって反映されます。

一方で、無理にでも笑顔を作ると、不思議なことに心が楽になったり、元気が出たりします。

野球などのスポーツで、よく指導者が「声を出せ!」と言いますが、声を出すことで体の中が活性化し、前向きな意識が生まれ、「もうダメだ・・・」と思っていたものが、「まだ頑張れる!」という気持ちに切り替わり、実際に体も動くようになるのです。

ガンや高血圧の患者さんたちに、落語や漫才を見せると、それだけで血圧が下がったり、免疫力が上がったりするという実験結果を、医療研究者が発表しています。

笑い、という体の表面の動きが、身体の内面に影響する、ということです。

また、腰骨を立てて背筋を伸ばすことを「立腰(りつよう)」と言いますが、立腰することで、集中力が高まり、仕事の効率が良くなったり、学校の成績が良くなったりする一方、背中が曲がっていると、気力が萎え、ケアレスミスが多くなったりします。

つまり、心の中の状態は体の状態となって表に現れると同時に、身体の動きを変えることで、心の中の意識を変えることもできるのです。

 

意識を変えるために行動を変える

会社を変えるためには、組織を構成する人たちの意識を変える必要があります。

よく「意識を変えろ!」と言いますが、意識って、実際のところ、どうやったら変わるのでしょうか?

眉間にしわを寄せて「ウンウン」唸っていても、意識は変わりません(笑)。

頭の中だけで意識を変えるのは、実はとても難しいのです。

だから、身体の動き、つまり行動を変えればいいのです。

デスクの上に書類が山積みになり、道具類があちこちに散乱している状況では、心が落ち着かず、仕事に集中できません。

だから、デスクの上を整理・整頓し、部屋の中を片づけると、気持ちが整い、仕事に集中することができます。

机の上をキレイに拭き上げ、部屋の隅や奥のホコリも見逃さずに掃き清めるという「行動」を通じて、納期に間に合わせ、ミスなく仕事をやり遂げるという“きちんとした”「意識」が芽生えてくるのです。

事務所や工場の床にゴミが落ちていたら、気づいた人がサッと拾う。

こうした行動を繰り返すことで、「問題を見て見ぬふりをしない」「人のせいにせずに、自分でできることを行う」という健全な意識が育つのです。

何も行動せずに、「人の役に立つことをしましょう」と100回念仏のように唱えても、そんなふうにはなりません。

 

人は環境に左右される

人は、周囲の環境に適応して生きています。

会社の中に物が散乱し、どこに何があるか分からない状態。

あちこちにホコリが溜まり、使う道具なのかゴミなのかが分からないような状態。

こんな状態の中で、社員に“規律正しい行動”を求めても無理な話です。

こうした環境は、無言のうちに、「遅刻しても構わないよ」「納期に間に合わなくても仕方がないよ」「安全のことなんか気を使うな」「自分で好き勝手にやっていいよ」というメッセージを発信しているようなものです。

逆に、必要最小限のものが、使いやすい場所に置かれ、どこに何があるのか一目瞭然。

隅を見ても裏を見ても、塵一つホコリ一つないという状態は、「約束を守ろう」「人が見ていなくても手を抜かないようにしよう」「物を大事に使おう」「お互いに気を遣おう」というメッセージを発していると言えます。

そしてこのような環境を、他の誰かにしてもらうのではなく、自分たちで手を入れてつくっていくことが、意識の改革につながっていくのです。

たとえば、汚くて臭いトイレを放置しておくと、心がすさみます。

汚れが放置されたトイレ

そういうトイレでは、利用者は余計に小便を撒き散らかしたりして、どんどん汚れがひどくなります。

そのような環境に慣れた人は、会社の外でも、たとえば公園のトイレや取引先のトレイも汚すでしょう。

でも、トイレの裏も表もピカピカに磨いて清潔にすることが、心を変えます。

裏側までピカピカに磨いたトイレ

トイレという世の中で一番汚れる場所。

しかもその場所は、誰もが使う場所。

そのトイレを、自ら磨くことは、「目の前の問題から目をそらさない」「人のせいにせずに、自分でできることを行う」「基本的なことをおろそかにしない」という意識を育みます。

あるいは、車でもそうです。

汚い車は事故が多いです。

たぶん、車が汚いと、「どうせこんなポンコツ!」と思って、運転が乱暴になるのではないでしょうか(笑)。

車に載っている余計な荷物を降ろし、キレイに洗車してあげれば、運転もおだやかになり、事故が減ります。

車を駐車するときに、駐車場のラインを無視して、斜めに停める人がいます。

ついでにハンドルが左右どちらかに切られたままで、前輪が曲がっていたりもします。

こういう人も、事故が多いのですね。

普段から、ラインに対して真っ直ぐに停め、タイヤも真っ直ぐにすることを習慣づけておけば、「規律を守る」「丁寧に行動する」ことが身についてきます。

実際、私のクライアントのバス会社では、運転士さんたちがバスの車内外を徹底してそうじするようになって、事故が激減しました。

 

時を守り、場を清め、礼を正す

昭和の教育哲学者である森信三先生のおっしゃった有名な言葉に、『再建の三大原理』というのがあります。

荒れた学校や企業を建て直すには、まず次の三つのことをしなさい、というのです。

  ・時を守り

  ・場を清め

  ・礼を正す

「時を守り」というのは、文字どおり、時間を守るということです。

もう少し広げると、約束を守る、ということになるでしょう。

「場を清め」はそうじです。

整理・整頓・清掃をして、場を整え、キレイな状態を保つ、ということです。

「礼を正す」は、挨拶、返事、身だしなみ、言葉遣い、などでしょう。

この三つ、まことに基本的で、当たり前のことです。

わたしたちが子どもの頃、親や学校の先生からしつけられたはずのことです。

こんな当たり前のことが、なぜ『再建の三大原理』なのでしょうか?

それは、こうした基本的なことがしっかりできている企業が、実は世の中には少ない、ということ。

そして、こうした小さなことをおろそかにして、大きなことはできないからです。

 

基本をおろそかにして大きなことはできない

たとえばスポーツにしても、基本をおろそかにした選手が大成することはありません。

学校の勉強でも、基礎ができていなくて応用問題が解けるわけがありません。

企業においても、こうした「時を守り、場を清め、礼を正す」という基本ができていなくては、いくら良い商品や斬新な販売方法があったとしても、長期間にわたって安定的な業績は残せないでしょう。

実際、私も、いろいろな企業を訪問・視察する機会がありますが、やはりこの三つの基本ができている会社は、安定的に業績が良いようです。

逆もまた、しかりです。

これは聞いた話ですが、銀行員は、取引先企業の状態を把握するために、その企業を訪問すると、事務所内の書類が整理・整頓されているかをそれとなく確認したり、トイレが汚れていないかどうかを、さりげなくチェックしたりするのだそうです。

また、私の知り合いに、数多くの会社の再建を手がけてきたターンアラウンド・スペシャリストがいますが、その人いわく、「潰れる会社は、必ず汚い」とのこと。

だから、たかがそうじ、されどそうじなのです。

 

“そうじ”は、社長も新入社員も一緒にできる

“そうじ”を企業経営に導入することのもう一つのメリットは、「誰でもできる」ということと、「誰と一緒でもできる」ということです。

特に、経営者と社員が対等な立場で一緒に活動できる、というところが特長です。

そうじは誰でもできます。

新入社員でも、パートでもアルバイトでもできます。

学歴や資格、特別なスキル、経験などは必要ありません。

そして、そうじにおいては、誰もが対等です。

役職や肩書に左右されません。

だって、社長だからすごいそうじができるってことは、ありませんよね?

いろいろな部署、職種の、さまざまな地位、立場の人たちが、一緒になってできる活動って、実はほとんどありません。

そうじは、それができるのです。

たとえば、社長と新入社員が一緒になってそうじで汗を流すことで、そこに会話が生まれます。

お互いの性格や考え方、抱えている問題などを理解することができます。

互いの距離が縮まり、互いの信頼関係が生まれるのです。

実際、私のクライアント企業において、50歳代の社長と、新入社員の女性(当時20歳くらい)とが一緒になって機械を清掃する場面がありました。

社長は、「最近の若い娘の言葉は、まるで宇宙語のようで理解できない」と言っていたものです。

それだけ、ジェネレーションギャップがあるということですね。

でも、その二人が一緒に全身泥だらけになりながら機械を清掃することで、間違いなくお互いの距離が縮まったはずです。

たとえ言葉が通じなくても(笑)、お互いの信頼感は高まったことでしょう。

その社長はある日、私に、「最近、社員が僕に対して雑談をするようになってくれました」と嬉しそうに報告してくれました。

社長と社員が一緒になって汗を流すことで、お互いの距離が縮まり、雑談ができる間柄になったということです。

 

そうじは持続性と実務メリットがある

もちろん、そうじでなくても、経営者と社員が対等な立場で一緒に汗を流すことはできます。

たとえば、社内の運動会や社員旅行などです。

こうした催しに、コミュニケーションの促進や相互理解に一定の効果があることは否定しません。

ただ難点は、「その効果が持続しない」、ということと、「実務上のメリットがほとんどない」、ということです。

それに比べるとそうじは、日々の中で取り組むことなので、持続性があります。

また、そうじをすることで、効率が良くなったり事故やケガが減ったりといった、実務上のメリットもたくさんあるのです。

 

“そうじ”は、小さな「役立ち」

“そうじ”が企業の組織風土改革につながる理由を、もう少し別の視点から説明します。

そうじは小さな「役立ち」、だということです。

たとえば、道を歩いていて、足下にゴミが落ちていたとします。

気づいた人が、サッとそれを拾ったとします。

すると、そこにゴミが放置されているという、ひとつの「問題」が解決するのです。

そして、周囲の人は、ゴミを拾い上げた人に「ありがとう!」と感謝することでしょう。

このように、そうじというのは、小さなことではあっても、周りの役に立つ行為なのです。

書籍がグチャグチャに乱れている本棚を、誰かがそっと整えてあげる。

汚れているテーブルを、気づいた人がサッと拭いてキレイにしてあげる。

駐車場に雑草が伸びていたら、有志が鎌を持って刈り取ってくれる。

そんな行為が日常当たり前に行われていれば、その組織内には、「ありがとう」という感謝の声が飛び交うはずです。

このような状態を、『にこにこサイクル』が回っている、と表現しています。(大和信春先生)

二つのサイクル

逆のことをイメージしてもらうと、よく分かります。

足下にゴミが落ちていても、誰も拾わない。

本棚が乱れていても、誰も整えようとしない。

テーブルが汚れていても、誰も拭こうとしない。

雑草が伸び放題になっていても、誰も手をつけようとしない。

こうした組織の中にいる人たちの気持ちは、おそらく、「それは自分の仕事じゃない」「汚した人間が悪いのだ」「誰かがやってくれるだろう」ということなのでしょう。

あまり、中にいて気持ちの良い組織ではありませんね。

以前、ある会社の事務所を訪ねたときに、シュレッダー屑がシュレッダー機の周囲に散乱していました。

しばらく様子を見ていたのですが、屑が溜まるビニール袋がすでにパンパンに膨らんでいるのに、誰もビニール袋を交換しようとせず、屑をぎゅうぎゅうに詰め込むだけ。

そしてまたシュレッダーを稼働させるので、どんどん屑が溜まり、周囲に屑が飛び散っていくのです。

きっと、このような「他人任せ」「責任意識の欠如」「無関心」という意識は、実務上でもそのままの形で表れてくることでしょう。

よく社是や企業理念などに、「互いに尊重し合いましょう」とか「互いに感謝し合いましょう」というような文言を見かけます。

しかし、いくら言葉で説いたところで、人の心には響きません。

しかし、前述したように、足下のゴミを拾ったり、テーブルを拭いたり、本棚を整えたり、雑草を取ったりする「小さな役立ち行為」を積み重ねることで、実際に、こうしたマインドが育まれていくのです。

 

モノを媒介にすることで、コトにアプローチできる

さらに、視点を変えてみます。

“そうじ”は、直接的にはモノに対してアプローチする取り組みですが、実は「モノを媒介にすることで、コトにアプローチできる」ということがあります。

たとえば、誰かのデスクの上に書類が山積みされているとします。

なぜそんなに書類が溜まってしまうのだろう、と考えると、その人に業務が集中し過ぎている、というようなことが分かってきます。

すると解決策としては、業務を同僚で分担して平準化しよう、ということになります。

モノを媒介するアプローチとは、こういうことです。

ところが、いきなりコトにアプローチしようとすると、「○○さんは仕事が遅いから書類が溜まるんだ」というような精神論になり、ケンカになってしまいます。

あるいは、私のクライアントの会社で、こんなことがありました。

事務所内の整理、整頓を進める中で、ある社員さんの机の中から、領収証や契約書、そして現金などが出てきたのです。

領収証は、お客様にお渡ししなければいけないもの。

契約書は、しかるべき場所にファイルして置くべきもの。

そして、現金は、経理上、きちんと精算をしなければいけないものです。

この社員さんは、こうしたことの管理が苦手で、これまでもよく大事な物をなくしたり、忘れ物をしたりしていました。

そこで、これを機会に、こうした契約書や領収証、現金などを、どのような手順で処理していくのかを、あらためて確認し、上司や管理部門などのフォロー体制も構築しました。

これがもし、「○○さんは精神がたるんでいる。もっとしっかりしてもらわないと困る。」という話になると、実際にはちっとも改善しないでしょうし、こういうことを言う方も言われる方も、精神的に疲れてしまいます。

あるいは、別の会社の事例ですが、この会社では、毎日、夕方に、全員で10分間そうじを行うことになりました。ところが、この活動がうまく進みません。建築会社なので、日中はそれぞれが現場に出ていて、夕方に戻ってからそうじをするのですが、夕方になっても、人が集まらないのです。

この会社ではそもそも、その日に誰がどこにいて何をしているのかさえ、社員同士で確認する手立てがありませんでした。

これでは、連絡や意思疎通がうまくいくはずがありません。

そこで、それぞれが今日、どこで何をしているのかを、LINEを使って共有することにしました。

そして、ミーティングやイベントの日程や内容も、事前に共有するようにしました。

その結果、そうじがうまく行くようになったのはもちろんのこと、社内の情報共有が進み、無駄や重複、ミスや遅れなどがなくなり、互いに協力し合う体制ができてきたのです。

モノを媒介することで、嫌味なく、コトにアプローチできるのです。

 

“そうじ”は企業の基礎体力づくり

ここまでの話を総合すると、「“そうじ”は企業の基礎体力づくり」という言い方ができるかも知れません。

スポーツの世界を思い浮かべてみてください。

どんなに一流の選手でも、基礎体力作りは怠らないはずです。

たとえばサッカーで、非凡なセンスを持つ選手がいたとしましょう。

その選手は、パスワークやシュートで、他の選手にはない、優れたカンとテクニックを誇っていたとします。

ところがもし、その選手が、基礎体力づくりを軽視し、ランニングなどを怠っているとしたら、長い目で見て、一流の活躍は期待できないでしょう。

企業もまったく同じです。

良い商品やサービス、ユニークな販売方法は、確かに大切です。

ビジネスである以上、商品やサービスなどが最終的に金を生むことは間違いありません。

しかし、いくら良い商品や良いサービスがあっても、もし、「約束を守らない」「ミスが多い」「連絡をしても返信がない」「大事な書類をなくす」「事務所や工場が汚く散らかっている」「社内で情報が共有されていない」「社内がギスギスしている」というような状態だったとしたら、その会社が永続して発展していくことは難しいでしょう。

会社を良くしようとするときに、どうしても、派手でユニークな商品や販売方法に目が行ってしまいがちです。

しかし、それらは言ってみれば「枝葉」であり、その枝葉を支える「根」や「幹」が脆弱であれば、いずれ枝葉も枯れていくことでしょう。

ユニークな商品や販売方法は、一時的には、ブームに乗って、業績を上げることができるかもしれません。

しかし、長い目で見たときには、「基礎体力」がない企業は衰退していくことでしょう。

この「基礎体力」を作るのが、“そうじ”であり、「そうじの力」とは「組織の基礎体力」だと言ってもいいでしょう。

 

まとめ

“そうじ”は、約束を守る風土をつくります。

“そうじ”は、「誰かが分かる」ではなく「誰でも分かる環境」をつくります。

“そうじ”は、お互いを理解、尊重し合う風土をつくります。

“そうじ”は、問題の本質をあぶり出し、解決していく力を養います。

スポーツにおけるランニングと同じように、企業における基礎体力づくりも、今日やって明日すぐに効果が現れる、というものではないかも知れません。

しかし、続けていけば、必ず効果は出ますし、その効果は長年にわたって持続するのです。

ですから、会社を良くしたい、と思ったら、まずは“そうじ”に取り組むのが成功への近道だというわけです。

 

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