2020年05月06日

捨てるとは「最適化」すること【そうじの力で組織風土改革】

”そうじ”において、とても重要な「捨てる」という行為。

ところが、捨てるのが苦手な人が多いのも事実。

なぜ人は捨てることが苦手なのか?

なぜ捨てることが大事なのか?

それを今回は、いくつかの視点から考えてみたいと思います。

物はあるだけでは意味をなさない

私が企業にお手伝いに入る際、どんな企業であっても、一番最初にやるのが、不要なものを捨ててもらうことです。

特に、老舗の企業ほど、不要物が積み重なっています。

ある木材店では、天井の梁の上に、古い木材がたくさん積んでありました。

 

天井の木材

木材は(管理状態にもよりますが)腐りません。

しかも、よく乾燥された古い木材は、若い木材に比べて曲がりや割れが少なく、好きな人にとっては価値が上がる、という側面もあるようです。

だからこの会社では、こうした古い木材をずっと積んでいたのでしょう。

 

しかし、この木材を売るなりして有効活用していたのかというと、そうではありません。

そう、ただ単に、積んでいただけなのです。

 

物は、そこにあるだけでは意味をなさないのです。

「これは良い木材なんですよ!」と自慢してみたところで、何の価値も生み出しません。

良いものなのであれば、売るなり譲るなりして、有効活用すればいいのです。

 

売れないとすれば、もしくは引き取り手がないとすれば、それは価値がないということであり、別の道を選ばなければなりません。

焼却処分すれば、少なくとも熱エネルギーが生み出され、ひょっとするとそれが温水プールの熱源になり、ただ単に置いてあるだけよりも世の中に貢献できるかもしれません。

あるいは、その木材が置いてあったスペースを有効活用するという観点からも、処分することこそが価値を生む、と考えるべきでしょう。

 

物は、我われ人間が生かしてやらねば、その存在意義がないのです。

どうしても生かせる方法がなければ、捨てることが、結局はその物を生かすことになります。

 

過去と決別しなければ前に進めない

小早「この機械、使ってるんですか?」

社長「今は使ってないけど、これ、高かったんだよね・・・・・」

 

現場でこんな会話をすることがあります。

高かったものって、捨てづらいですよね。

 

ある程度活躍してくれたものならば、まだ踏ん切りもつくでしょうが、中には手違いや見込み違いなどで、使わないままずっと置いてある、なんて機械もあったりします。

そうなると、よけいに捨てづらくなりますね。

 

たとえば、下の写真は、ある設備屋さんの倉庫です。

ここに積まれているものの多くは、取り寄せたものの、途中で仕様変更になったりキャンセルになったりして、結局、設置に至らなかったもの。

積みあがった設備機器

だからもちろん、機能的には十分に使えるものなのです。

 

他の現場に流用できるものならば、流用したい。

でも、いろいろと策を練っても、使い道がないのです。

ならば、捨てるしかありません。

金額換算にして、300万円~500万円!

なんとも痛い話です。

でも、こうした「痛み」を味わうことが必要なのです。

 

この状態を放置しておけば、いつまでたっても誤発注や確認ミスなどが続くでしょう。

だって、これが「当たり前」という意識になってしまいますから。

ここで痛い目を味わい、「今後、こういうことは絶対にないようにしよう」と決意しない限り、こうした事態はなくなりません。

500万円はありがたい授業料だととらえましょう。

モノを捨てた状態

ここでいったんすべて捨ててクリアにし、今後は、誤発注や確認ミスなどが起きるたびに、

「なぜ起きたのか」

「どうすれば防げるか」

「挽回する方法はないか」

を徹底的に追及していくのです。

 

過去と正面から向き合い、負の遺産を断ち切らなければ、前には進めないのです。

 

持っていれば安心は大きな間違い

よく、大量の本を本棚に蔵書している人がいます。

もちろん、大学の教授や研究者が、資料として活用している、あるいは活用する可能性がある、ということであればいいのです。

でも多くの場合、読みもしない本を積んであるだけだったりします。

 

蔵書

その心理はズバリ、「あるとなんとなく安心」というものでしょう。

 

でもはっきり言います。

その人の実力は、持っている本の量とは関係ありません。

書物は、それを読み、知識を吸収し、それを実践して、はじめてその人の実力になります。

積んであるだけでは、何の力にもなりません。

 

同様に、壁一面にペタペタと掲示物を貼っている会社があります。

今期のスローガンにはじまり、社員としての心得、注意事項、取引先の異動やカレンダーなどなど。

貼っていると、なんだか安心なのでしょう。

でもはっきり言いますが、情報は、掲示しただけで浸透することはありません。

 

大事な情報であれば、何度も何度も口頭で伝え、チェックする機会をもうけなければ、浸透はしていきません。

蔵書にしても、掲示物にしても、本をストックしたり掲示をしたりすることそのものが悪い、ということではありません。

それをちゃんと活用するかどうかが大事、ということです。

 

「あるとなんとなく安心」という心理が、かえって必要なアクションから目を背けさせているのではなかろうか、と思うのです。

だから、蔵書や掲示物は、必要最小限にしたほうがいいです。

掛軸や色紙、置物などについても、同じことが言えますね。

 

常に捨てなければ退化する

下の写真は、ある会社の事務用品を、いったん全部出して整理している最中のようすです。

この会社は、以前は10人ほどの社員を抱えていたのですが、ある時期から業務をグッとスリムにして、現在は社員3人ほどのこじんまりした所帯になっています。

 

ところが、事務用品は以前の陣容だったときのままなのです。

エースコーポレーション

ホチキスやハサミ、パンチなどが、それぞれ5~6個もあるのです。

ゼムクリップなどは、あと100年業務を続けていても使い切れないだろう、というくらいの量です(笑)。

 

これを、このままの状態で取っておいたら、どうなるでしょうか。

使わないものが邪魔で仕方がありません。

これらを捨てて、必要最小限にすることでスペースが空き、本来必要なものを収納しておくことができます。

 

このように、人間は活動していくと、どんどん状況や環境が変化していきます。

だから、常に、合わなくなったものを捨てなければいけないのです。

捨てることで、現状に合わせる「最適化」ができるのです。

 

捨てることができないとは、どういうことか。

たとえ話ですが、人間が子供から大人に成長していって、体も大きくなっているのに、子供の服を着たまま、というようなことです。

成長するにしたがって、子供の服は捨て、大人の服を買わなければいけません。

最適化しない、というのは退化しているのと同じです。

だから、常に捨てて、最適化していく必要があるのです。

 

「この机、以前からなんとなくここにあるけど、よく考えたら、使ってないよね?」

こういうものが、随所にあるはずです。

歩みを止めずに、捨てて、最適化していきましょう。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

このように、「捨てる」という行為は、実は「最適化」するということなのです。

「生き残るのは、強い生き物ではなく、変化に適応できる生き物だ」という言葉があります。

だとすると、「捨てる」ことが、ビジネスの世界において生き残っていく、とても重要な営みだということになります。

 

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