2020年08月03日
「もったいない」は本当に美徳か?【そうじの力で組織風土改革】
先日、とある支援先に行って、環境整備の研修を行いました。
そこでトイレそうじの実習を行ったのですが、そのときに感じたことがあります。
その会社で用意された雑巾が、ボロボロに傷んでいるのです。
イメージとしては、下の写真のような感じです。(ここまでひどくはないですが・・・)
この会社では、雑巾を大切にしており、汚れたり傷んだりしたからといって、すぐには捨てずに、とことん使い切るようにしているとのこと。
こういう会社は、けっこうあります。
確かに、モノを大切にするという精神は、とても良いことです。
しかし、そのことと、道具を適切な状態で使う、ということは、別の話です。
このように傷んだ雑巾で、果たしてきちんと掃除ができるでしょうか?
繊維が弱くなっているので、きつく絞ることができません。
結果として、余分な水分を含んだまま拭き掃除をすることになります。
そうすると、拭いた面が、びちょびちょになってしまいますね。
また、繊維くずが抜けていくので、拭いた面にたくさんの糸クズが残ってしまいます。
これでは、せっかくキレイにするために雑巾がけをしているのに、実際にはキレイにならない、ということになってしまいます。
ですから、このような道具の使い方は間違っている、と言わざるをえません。
キレイにするためには、常に汚れや傷みのない状態の雑巾を使うべきです。
汚れがこびりついてしまったり、繊維が破けたりしてしまったりしたら、そこで捨てるべきです。
その時点で、その雑巾は「雑巾としての生」をまっとうしたのであり、なんらもったいなくはないのです。
似たようなことで、割れたガラス窓や壁に空いた穴を、段ボールで覆って補修しているケースがあります。
下の写真のようなイメージです。
なぜこのようにしているのか、と聞くと、「いちいち修理していたらキリがない」とか「修理する費用がもったいない」というような答えが返ってきます。
でも、ほんとうにもったいないのは、「人の心」です。
こうした環境を放置しておくと、「モノを、そのもの本来の状態で使わない」のが当たり前、という風土になってしまいます。
だから、かえってモノを乱暴に扱ってしまいがちなのです。
「どうぜボロなんだから」という感覚です。
モノを大切に使おうとするならば、そのもの本来の姿を、常に保つことが必要です。
モノが壊れたり破けたりしたときには、応急処置はともかく、できるだけ早めに、本来の姿に戻るように修理すべきです。
どうも世の中には、「もったいない」という言葉を、「ボロボロになるまで使い切る」とか「できるだけ費用をかけない」というふうに意味を取り違えている人がいるようです。
しかし本来の「もったいない」とは、「人や物を、そのもの本来の力を発揮させる」ということだと思うのです。
だから、雑巾は、常にキレイで傷みのないものを使いましょう。
段ボールやガムテープでの補修は、できるだけ早く、きちんと修理しましょう。
そうすることで、そこに関わる人たちの心も、明るく前向きになっていくことでしょう。