【第182号】そうじの力で培ってきたことがコロナ対策に生きている|石見交通(株)
そうじの力だより第182号支援事例紹介「そうじの力」で培ってきたことがコロナ対策に生かされている!~危機だからこそ、今まで培ってきた自力が発揮される~島根県西部で路線バスと長距離バスを運行する石見交通(株)。他にも、旅行代理店やガソリンスタンドなど、八つの関連会社を擁する総員三二〇名の企業グループです。約七年前から、グループ全体で「そうじの力」に取り組み、毎月、研修会や報告会が行われています。今回の武漢コロナウィルス禍は、同社にとっては大打撃。特に、観光バスや旅行代理店などは、売上がほぼゼロになってしまいました。しかし、嘆いていても何も変わりません。今やれる最大限のことをやろうと頭を切り替え、積極的に感染対策に乗り出しました。合言葉は、「自分たちの会社は自分たちで守る」。まず、四月三日に、グループ全体で、事務所とバスの大規模な消毒訓練を行いました。マスクとゴーグル、手袋、そして雨ガッパで完全防備し、事務所においてはデスクや椅子、パソコン、書類棚などに消毒液を吹きつけていきます。バスでは、手すりやつり革、壁、座席などを入念に消毒しました。この訓練により、実際の手順が確認できただけでなく、今回のコロナ禍を乗り切るための意気込みを、社員間で共有できたのではないでしょうか。そして現在、依然として厳しい状況の中で、これまで「そうじの力」で培ってきたことが、コロナ対策に生きている、といいます。まず何といっても、モノが少ないということ。これまでの「そうじの力」の活動において、不要なモノを捨てることを徹底してきました。事務所においては、デスクは「机上ゼロ」になっています。だから、邪魔な物がなく、消毒作業がしやすいのです。現在、毎日、デスク、椅子、パソコンキーボード、電話機等、手で触れる箇所を定期消毒していますが、「毎日のそうじをしていたことにより、毎日の消毒時間を習慣づけることが容易だった」と言っています。私は常々、そうじの三つのコツとして①上から下へ②外せるものは外す③見えない所を重点的に、と説いているのですが、それがそのまま消毒作業にも役立っているといいます。今後は、資料の電子化やペーパーレス、そして電子データの整理整頓をさらに推し進めて、在宅勤務がしやすい環境づくりをしていく計画です。また、バス運行の営業所においては、バスの車内を、毎日定期的に消毒しています。運転席まわり、手すり、つり革、壁、お客様座席など、手で触れる箇所に、消毒液を吹きつけていきます。「これまでも、そうじの力の活動でバス車内を徹底清掃をしていたので、スムーズに対応できた」といいます。ある営業所の活動リーダーは、「感染リスクを少しでも減らす為、乗務員と一体となって対策をしています。考えてみると、当たり前の様に乗務員と一緒に作業しているのも、今まで『そうじの力』をやってきたおかげで出来ているんだなと、改めて実感する事ができました」と感想を語っています。乗務員というのは、バスの運転士のことです。同社に限らず、一般的に運転士は、職人気質で、バスを運転する以外の業務を好まず、同社でも以前は、事務員と運転士が一緒になって何かの活動を行うことは、ほとんどなかった、と言います。しかし、この七年間の「そうじの力」の活動で、同社においては、運転士を交え、お互いに協力し合う活動が「当たり前」になったのです。また、指定管理者として業務受託している石見銀山世界遺産センターにおいても、感染防止に力を入れています。ウィルスの媒介となるものを極力少なくするという観点から、さらに整理を進め、モノが少なくなりました。同センターにおいては、「自分たちの生活を職場から守る」 という意識をもって対策を進めた結果、「自分たちの職場が一番安全」 と感じられるようになり、社員が安心して働けるようになったといいます。今後もしばらくは厳しい状況が続きます。しかし、そうじの力で培った自力があれば、必ず乗り越えていけるに違いありません。 (小早)そうじの力コラム李登輝 元台湾総統を悼む~日本は今こそ台湾に学ぶべき~ 台湾の元総統、李登輝氏が、七月三〇日、九七歳で永眠されました。心よりご冥福をお祈りいたします。 李氏は、台湾が日本の領土であった大正十二年(一九二三)に生まれ、戦前の日本教育を受けて育ちます。京都帝大(現京大)に進んだ後、学徒出陣し陸軍少尉として終戦を迎えます。 戦後、台湾は、国共内戦に敗れた中国国民党が大陸から逃れてきて支配し、蒋介石一族が恐怖政治を行います。長らく独裁体制が続いた台湾を民主化したのは、まさしく李登輝氏でした。 それまでの台湾は、大陸から渡ってきた少数の「外省人」に、戦前から台湾に住む大多数の「本省人」が支配される、いびつな国でした。 一九八八年に、李氏が本省人として初めての総統に就任し、外省人の既得権益を徐々に無力化していき、二〇〇〇年の退任までに、台湾を完全に民主主義の国に変えていきました。 その李登輝氏の行動原理のベースは、戦前に受けた日本教育だったといいます。よく「僕は二十二歳まで日本人だった」と言い、夫人との会話は日本語だったそうです。 そんな李登輝氏や台湾のことを私が意識するようになったのは、今から十四年前、平成十八年(二〇〇六)のことです。 知人が主催する、台湾への視察旅行に参加したのです。そこで、台湾独立運動の推進者や、恐怖政治時代の迫害の被害者、そして、戦争中に日本軍志願兵として闘った人たちなどと交流し、はじめて台湾と日本との深いつながりを認識するようになったのです。 日清戦争の下関条約により、日本は台湾を領土として得ます。それから終戦までの五十年間で、まさに未開の地であった台湾を、社会インフラの整備や学校教育の普及により、日本内地なみの「先進国」に引き上げたのです。 後藤新平は、民政局長として、衛生観念の普及につとめ、悪しき習慣だったアヘン吸引をやめさせました。新渡戸稲造は、殖産興業を担い、製糖産業を台湾の一大事業に育て上げました。 土木技師の八田興一は、不毛の地を灌漑する当時東洋一のダムを建設し、嘉南 平原を肥沃な農業地帯に変えました。 そんな戦前の日本人の業績を、台湾の人たちは「尊敬する」と言います。志願兵として闘った老人は、「私は当時『日本人』だった。国のために闘うのは当たり前。現代の日本人は、もっと誇りを持て!」と言います。 残念ながらわが日本は、中華人民共和国との国交樹立を機に台湾と断交。以来、中国の顔色を窺い、李登輝氏らとの交流を避けてきました。 台湾は、領土的野心をむき出しにする大陸中国に、毅然とした態度を示しています。日本は今、かつての「教え子」である台湾に、学ぶべきなのです。 (小早)株式会社そうじの力そうじで組織と人を磨く、日本で唯一の研修会社弊社は“そうじ=環境整備”を通じた「企業風土改革」を支援します。講義、実習、チームミーティング、計画作り、現場検証を通じて、社長と社員の意識改革を図り、健全な企業風土作りをお手伝いします。支援期間は1年から。毎月1回訪問を原則としますが、状況とご要望に応じて、プログラムをオーダーメイドします。また各種団体向けの講演のご依頼も受け付けております。(全国対応)そうじの力だより第182号 2020年9月1日発行 発行者:小早 祥一郎(株式会社そうじの力 代表取締役)〒370-0078 群馬県高崎市上小鳥町307-1 TEL:050-3709-2333 FAX:050-6868-2721 メール:info@soujinochikara.com